15,
2022.07.29
「私たちは巨人の肩の上に乗る小人のようなものだ」
これは12世紀のフランスのシャルトル学派で思想家のベルナールの言葉だそうです。
アイザック・ニュートンもロバート・フックへ宛てた手紙にこう書いたそうな。
主に学術用途での検索を目的としたGoogle Scholarのトップ画面にもこの言葉が表示されています。
つまり私たちがいろいろなものの解像度を高く遠くまで見据えることができるのは、特別視力が優れているわけでも背が高いわけでもない。巨人の肩に乗せてもらっているからだということです。ここでいう巨人というのは先人のことです。
最近出会った言葉のなかで私の一番のお気に入りです。
ところで残りの人生のコンセプトとして大切にしているふたつのことがあります。
ひとつは新たな文化を創るための公器を作ること。
文化の主な特徴として、「ある一定の母集団が行う特定の振る舞い」と、「世代を超えて人々の間で伝播していくこと」だと考えています。
(新たな文化を創る)というのは、その土地に船の錨のように根付いて固有の地熱を生み出すこと。
また、それは公の器であることが大事で、「振る舞い」が規程されていれば後世の人が自由に思いを入れても「特定の振る舞い」は守られるはずだと考えています。
藤原清衡が岩手県の平泉の地に作った浄土思想の世界がいまも残っていて、人々の文化や行動を規程している様子を体験したことが思いの発動したきっかけでした。
仏教が主体の文化群ですが、あの土地固有の地熱を確かに感じました。(1000年近く経った今も!)
現代でいうと盛岡の光原社さんやナガオカケンメイさんが特にそういったことをされていると思います。
とても時間の掛かることですが、同じように地熱を生み出そうと活動されている方はたくさんいらっしゃるはず。
いつかそういう人たちを訪ねて取材したい。
・
この世に生を受けたときから巨人のゆりかごに揺られて、それでいていまもその加護の中にある気がします。
おそらく人生も折り返し付近にあって、残りの時間は未来に向けて使わないわけにはいかないと思っています。
巨人というのはなにも勝手に生まれてくるものではなくて、能動的に関わっていかないとあっという間に萎んでいくものでしょう。
しかし私の中の衝動はこのオブセッションに駆られたものではなくて、時間を賭ける価値のあるものを見つけられたという喜びでした。
長くなってしまったのでもうひとつはまた次の機会に。
関連記事
