飛び込むこと


3,

2022.05.21

新しい仕事で内田染工場様へ。どこの奴かも分からないのに快く受け入れてくださったことが嬉しい。

それにしてもこの景色を見たときは、京都の町家のプロジェクトに関わらせていただいた時と同じ気持ちが蘇りました。

人の営みはなんと美しく高尚なものなのだろう。

今思えば最初の(こういうものを作りたい)と思う気持ちはなんと軽いものだったんだろうと少し自身を恥じる気持ちが芽生えました。

まぁ最初はそんな感じでいいのかもしれません。

でないと怯んでしまって飛び込めない。

無知であることはある種の強みだと思います。

結局これを美しく感じることも主観でしかないわけで。

でもやっぱり最初はそれでいい。

黒崎宏さんの著書である『ウィトゲンシュタインと禅』で禅宗の歴史書である伝燈録からの引用で、

見ようと欲するならば、ただちに見よ。だがそれについて思考しようとすれば、それはまったく失われてしまう。

という一文が紹介されています。

これは仏教学者の鈴木大拙さんの翻訳で広く認知されているものですが、なんとも歯がゆいなと思う。

どんなものも正しく見ようとすればするほどできなくなる。

結論を急げば結局こじれるだけだということを言いたいのかなと思いました。

まぁ飛び込むことが大事だということなのでしょうか。

伝燈録はのちの公案(禅問答)へと発展したものらしいので答えは分からない。

ウィトゲンシュタインも

私を理解する者は、いわば梯子を登り切ったとき、その梯子を投げ捨てねばならないのである。

と、言っているらしい。

冒頭に抱いた感情は結局、問答の一つなのでしょう。

よく知らんけども。


関連記事